今回は世界恐慌についた詳しくお話したいと思います。
世界恐慌とは?
世界大恐慌とは、1929年から1933年にかけて、アメリカから世界に広がった経済不況のことです。
きっかけは、アメリカのウォール街でニューヨークの株価が大暴落したことです。当時のアメリカは戦後の好景気で、投資家たちは投資に積極的で、ぐんぐんと株価は上昇していました。
しかし、とある日「お金を注ぎ込みすぎた。このままでは投じた分のお金を取り戻せないかもしれない」と投資家の間で不安が広がり、株価が下がる前に売って利益を確保しようという心理が働いたのです。
結果、1929年10月24日、株価は大暴落しました。これを見た預金者たちは銀行に殺到します。なぜなら、銀行は企業に投資をしていたからです。このままでは預金が引き出せなくなってしまうかもしれない、と思った預金者たちはいっせいに銀行からお金を引き出しました。
預金者たちがお金を引き出したことで銀行にお金がなくなってしまい、どうしようもなくなった銀行は倒産してしまいます。当然、お金を借りていた企業も潰れ、製品を作っていた工場も閉鎖しました。
会社を解雇された失業者は増える一方。財布のひもはきつく結ばれ、物を買う人も減ってしまい、経済はますます悪くなっていくという悪循環に陥りました。
当時、アメリカは世界経済の中心だったため、不況の波は世界中に広がったのです。恐慌は1936年頃まで続き、4人に1人が失業者という状態でした。
世界恐慌の原因
世界大恐慌まで被害が拡大した理由は、アメリカに依存した世界経済です。
第一次世界大戦時、アメリカはヨーロッパへ軍需物資や農産物を輸出し、利益を得ていました。戦争の被害もヨーロッパと比べると少なく、消耗したヨーロッパ各国を抑えて世界で最も裕福な国となっていたのです。
そして、戦後ボロボロになったヨーロッパ各国に対して、アメリカは世界最大の債権国(他の国にお金を貸している国)となりました。そのため、アメリカが破綻したことでお金の供給源がなくなってしまい、世界経済も一緒に破綻してしまったのです。
二つ目が投資ブーム
世界大恐慌のきっかけとなったのが、アメリカの過剰な生産と投資でした。第一次世界大戦で物を買いたい人が増えたため、アメリカはそれに答える形で設備へ投資していました。
自動車や住宅、ラジオ、洗濯機、冷蔵庫などが大量に生産され、さらにセールスマンなど新しい販売の方法や分割払いなどの信用販売により、消費はぐんぐんと高まっていきます。
しかし消費は増え続けることはなく、1920年代にはほとんどの人に商品が行き渡り、新しく物を買いたいという人が減ってしまったのです。ところが、落ちた消費量に対して生産量は減りません。企業は分割払いや株式によって支えられ、物を買う人がいないにも関わらず商品を作り続けたのです。
本来、この頃の経済状況から考えると株価は上昇から横ばいへ転じるはずでした。しかし、実際の経済状況を無視して株価は上昇し続けたのです。多くの人はこれに気がつかず、株式へと投資をし続けていました。
なぜ多くの人が株式へと投資していたのかというと、この頃のアメリカには世界中のお金が流れこみ、余った資金が投資へと回されて株式投資ブームがきていたからです。買えば必ず儲かるということで、株を購入する人が大勢いました。
実態から離れた株価は危ういバランスを保ち、やがて崩れます。株価と経営状態が釣り合っていないことに気づいた人が出てきたからです。一部の投資家による株の売りで、株価の上昇はストップしました。
そうして1929年10月24日、「暗黒の木曜日」に、不安にかられた人々たちから株の売却が殺到し、世界大恐慌が始まったのです。
3つ目が、農作物の作りすぎによる農業不況
一方で農業不況も、アメリカ国内の消費を下げて世界大恐慌の一因となりました。
第一次世界大戦時、食料品は人気商品の1つでした。売りたい人よりも買いたい人の数が上回ったため、食料品の価格が上がり、利益を求めて世界中で穀物の生産が増加。戦後もその状況が続きました。
しかし、しばらく経つと状況が変わります。フランスやドイツなどのヨーロッパ各国では、農産物を自国でまかなおうとする動きがありました。農産物に対して高い関税をかけ、外国からの流入を減らしたのです。
買いたい人の減少にあわせて農産物の生産を減らせばよかったのですが、生産は増える一方でした。1924年には買う人が減り、農産物の価格が下がり始めます。これにより、農産物を売っていた国の収益は50%以下まで悪化しました。
そして、農作物の価格減少は農民に最も影響を及ぼしました。アメリカの農民は大戦中に借金をして畑を増やし、機械を購入していたため、売上が減って生活を維持できなくなったのです。そのため、畑を手放さなければならない農民が多くいました。
農業不況は長期に渡り、世界大恐慌が起きた1929年は豊作でした。買う人がいないにも関わらず、たくさんできてしまったため、農作物の価格は好況時の65%以下まで下がったのです。農民は収入がますます減ってしまい、物を買おうという気持ちはなくなってしまいました。
物を買うお金が人々になければ、経済は衰退してしまいます。アメリカで起こった農業不況は、世界大恐慌の一因を担ってしまったのです。
アメリカの政策
1933年にフランクリン・ルーズヴェルト大統領が示した新政策で、「救済」「回復」「改革」の3つを理念にアメリカ経済の再建を目指しました。具体的には、生産の管理や雇用の創出、労働者保護、銀行の監視が主な内容となります。
今までアメリカの経済は完全に市場に委ねられ、政府はこれをコントロールしてはいけないという慣例がありました。しかしニューディール政策ではこの慣例を打ち破ったのです。ニューディール政策により、アメリカ経済は一時的に活気を取り戻しました。
賠償金返済ができなくなり、他国へ侵略したドイツ
世界大恐慌の影響を最も強く受けたのはドイツです。当時のドイツは第一次世界大戦の賠償金返済に追われており、その莫大すぎる金額から、アメリカの資金援助を受けて経済を回していました。
しかし、大恐慌が起きてアメリカが不況に陥ると、ドイツの経済はどん底へと叩き落とされます。失業者は40%以上にのぼり、銀行や企業は次々と倒産しました。大量の失業者が出て、国内経済は破綻寸前、国民の不安は強くなります。
そんな中、1933年にヒトラーが首相に任命され、独裁政治を開始しました。ヒトラーはドイツとオーストリアを結ぶ高速道路建設事業と、四カ年計画という軍事優先の生産活動によって雇用を生み出し、多くの失業者に仕事を与えました。
職を失った人々は仕事を得たことによって生活を安定させることができ、ヒトラーは国民から支持されたのです。ヒトラーの政策により、ドイツはイギリスやアメリカと比べて早く、恐慌から回復しました。
まとめ
- 世界恐慌がニューヨークのウォール街から世界へ
- アメリカのニューデリー政策でアメリカ経済を復活させた
- 何千万人も亡くなってしまう戦争につながった
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